2005.07.01
池田です。
台湾から、無事全員帰って参りました。
総勢28名!
最初から最後まで大小さまざまなトラブルがありましたが、
番組制作をする人間にとっては、このようなトラブルに巻き込まれる事は、
非常に貴重な経験だと思うのです。
むしろ、すんなり行ったらあまり勉強にならないかも。
私は、同室の中萩嬢に、日本時間で叩き起こされて (ノД`)非常にいい迷惑でした。
これが、本当の仕事で逆に寝過ごしてしまっていたら・・と思うとゾッとします。
全く同じ失敗を、別室でもやったと聞いてつくづく似た者同士の集まりなんだなぁと思います。
いつもと違う環境でトラブった時、互いに協力して無い知恵を出し合う事が、
後々楽しい思い出になるのかもしれません。
また、http://www.yoshizoo.com/でカッキーがオシャレな写真をアップしてくれると思います。
写真は2日目の宴会と、早朝の太極拳風景です。
皆さんがやっている後ろで(勝手に)参加させていただきました。
近くにいたおじいさんが、一生懸命身振りで教えてくださいました。
台湾から、無事全員帰って参りました。
総勢28名!
最初から最後まで大小さまざまなトラブルがありましたが、
番組制作をする人間にとっては、このようなトラブルに巻き込まれる事は、
非常に貴重な経験だと思うのです。
むしろ、すんなり行ったらあまり勉強にならないかも。
私は、同室の中萩嬢に、日本時間で叩き起こされて (ノД`)非常にいい迷惑でした。
これが、本当の仕事で逆に寝過ごしてしまっていたら・・と思うとゾッとします。
全く同じ失敗を、別室でもやったと聞いてつくづく似た者同士の集まりなんだなぁと思います。
いつもと違う環境でトラブった時、互いに協力して無い知恵を出し合う事が、
後々楽しい思い出になるのかもしれません。
また、http://www.yoshizoo.com/でカッキーがオシャレな写真をアップしてくれると思います。
写真は2日目の宴会と、早朝の太極拳風景です。
皆さんがやっている後ろで(勝手に)参加させていただきました。
近くにいたおじいさんが、一生懸命身振りで教えてくださいました。
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2005.07.01
6/19(日)
高岡・広根は始発の新幹線に乗って気合120%で待ちに待った地球博の会場に向かいました。
開場1時間前からこの人だかり(北ゲートは人気パビリオンの近くだから一番人が多い)。早めに行ったつもりが上手(うわて)がこんなにいた。恐るべし地球博人気。
まずはゲートを過ぎて企業パビリオンまでダッシュ。一番空いてたのが「三井・東芝館」自分の顔をスキャンしてCGアニメで登場するパビリオン、私達の行きたかったパビリオンの一つです(50分待)。
自分の顔がCGアニメになった時区別するために目印としてキッコロとモリゾウのタトゥシールを顔に貼って挑んだが、わかったのは広根(レシーバー役)だけ、しかもセリフ有りで何回も登場してたのに対して戦士役の私は動きが早すぎてほとんどわからなかった(T_T)
吹き替えの声は元々声優さんなのでどう見ても子供の顔なのにええ声の成人男性やったり、おばちゃん顔の戦士が色っぽい女性の声やったりは気持ち悪かった。
そして早めのランチを食べにゴンドラに乗って(20分待)瀬戸会場に移動。途中10分間ガラスが曇り、風景が見えなくなりました。「なんで景色を見えなくするんやろう?」ってグチってたら、乗り合わせたお客さんに「この付近は住宅が多く住民のプライバシーを守るためにゴンドラを一時的に磨りガラスにするんやて」って教えてもらった時、地球博スタッフのそんな細かい気配りにへぇへぇへぇへぇ〜でした。
昼食は有機栽培の野菜など使ったバイキング形式で食べ放題(40分待)、まだ1つしか回ってないのに午前中の疲れをリセット。この器は使えなくなった陶器を再利用した瀬戸焼食器だそうです、エコエコ。
その他には、ペットボトルと新聞とダンボールで作った休憩所でくつろいだり、地元の人が作った飾りや自然をテーマにした作品などが展示してあり手作り感のある会場でした。また万博郵便局があり二人で記念のプリクラ切手を作りました。
長久手会場に戻って一番最初に出会ったのが
「トヨタ館」整理券配布待ちの列。配布2時間前でものすごい人。ここでトヨタのえらいところが待つ人の立場になっていろいろ配慮してくれていたところ。靴を脱いで休めるように木の廊下だったり行列はあえて動かさないことでレジャーシートや折りたたみ椅子を広げて昼寝する人やゲームや読書をして過ごせることができたり、行列の至る所にスタッフが立って、質問する人の対応にあたったり、とてもストレスが少なく待てました(整理券待ち2時間、トヨタ館前1時間)。
未来の乗り物が前を通り過ぎて行くのをみて「会場のお客さんを何人か抽選で乗せてあげたらもっと盛り上がるのにぃ」と思いました。
2つパビリオンを見ただけで一日が終わってしまいました。お土産を買って帰ろうとしたらお店はものすごいお客さんでカゴを頭に乗せないと店内が移動できないくらい。精算はいったん店の外に出てレジ待ちの列に並ばなければいけませんでした。ゲートを出てシャトルバスに乗るのももちろん並びます。
高岡・広根は始発の新幹線に乗って気合120%で待ちに待った地球博の会場に向かいました。
開場1時間前からこの人だかり(北ゲートは人気パビリオンの近くだから一番人が多い)。早めに行ったつもりが上手(うわて)がこんなにいた。恐るべし地球博人気。
まずはゲートを過ぎて企業パビリオンまでダッシュ。一番空いてたのが「三井・東芝館」自分の顔をスキャンしてCGアニメで登場するパビリオン、私達の行きたかったパビリオンの一つです(50分待)。
自分の顔がCGアニメになった時区別するために目印としてキッコロとモリゾウのタトゥシールを顔に貼って挑んだが、わかったのは広根(レシーバー役)だけ、しかもセリフ有りで何回も登場してたのに対して戦士役の私は動きが早すぎてほとんどわからなかった(T_T)
吹き替えの声は元々声優さんなのでどう見ても子供の顔なのにええ声の成人男性やったり、おばちゃん顔の戦士が色っぽい女性の声やったりは気持ち悪かった。
そして早めのランチを食べにゴンドラに乗って(20分待)瀬戸会場に移動。途中10分間ガラスが曇り、風景が見えなくなりました。「なんで景色を見えなくするんやろう?」ってグチってたら、乗り合わせたお客さんに「この付近は住宅が多く住民のプライバシーを守るためにゴンドラを一時的に磨りガラスにするんやて」って教えてもらった時、地球博スタッフのそんな細かい気配りにへぇへぇへぇへぇ〜でした。
昼食は有機栽培の野菜など使ったバイキング形式で食べ放題(40分待)、まだ1つしか回ってないのに午前中の疲れをリセット。この器は使えなくなった陶器を再利用した瀬戸焼食器だそうです、エコエコ。
その他には、ペットボトルと新聞とダンボールで作った休憩所でくつろいだり、地元の人が作った飾りや自然をテーマにした作品などが展示してあり手作り感のある会場でした。また万博郵便局があり二人で記念のプリクラ切手を作りました。
長久手会場に戻って一番最初に出会ったのが
「トヨタ館」整理券配布待ちの列。配布2時間前でものすごい人。ここでトヨタのえらいところが待つ人の立場になっていろいろ配慮してくれていたところ。靴を脱いで休めるように木の廊下だったり行列はあえて動かさないことでレジャーシートや折りたたみ椅子を広げて昼寝する人やゲームや読書をして過ごせることができたり、行列の至る所にスタッフが立って、質問する人の対応にあたったり、とてもストレスが少なく待てました(整理券待ち2時間、トヨタ館前1時間)。
未来の乗り物が前を通り過ぎて行くのをみて「会場のお客さんを何人か抽選で乗せてあげたらもっと盛り上がるのにぃ」と思いました。
2つパビリオンを見ただけで一日が終わってしまいました。お土産を買って帰ろうとしたらお店はものすごいお客さんでカゴを頭に乗せないと店内が移動できないくらい。精算はいったん店の外に出てレジ待ちの列に並ばなければいけませんでした。ゲートを出てシャトルバスに乗るのももちろん並びます。
2005.06.08
3年前に行った社員旅行は韓国でした。
韓流ブームの前に行っておいて、ヨカッタと思っています。
しかし、食べ物がすべて辛いのは甘党の私にとっては厳しかった。
赤い物が辛いのは分かるのですが、緑色のとんでもなく辛いものが
時々サラダなどにも混ざっていて、食事のたびに恐怖でしたヽ(`Д´)ノ
でも、屋台で安く買い物したり、射撃で実弾を撃ったり楽しかったですよ。
イモムシの佃煮は、見た目かなり怖かったです(日本人もナマコ食べるけど)
一昨年は社員旅行無し。
去年は有馬温泉。
今年の社員旅行は台湾です。
今月末の旅行を前に、この台湾行きの事があり、今台湾の事をいろいろ勉強しています。
みなさんは、台湾って1つの国だと思いますか?
それとも中国の一部だと思いますか?
これって、意外と奥の深い問題なのです。
19年前に私が初めて行った海外旅行が台湾でした。
かなり日本の文化が浸透しているのにはビックリしました。
貸し本屋ならぬ、貸しマンガ屋には日本のマンガ(北斗の拳が大人気)が
ズラリとならんでいました。
セリフの吹き出しのところは中国語を切り貼りして並べられ、
コピーされたものでした(違法やん!)
「安安」というファッション誌は、日本のananをパクったとしか思えなかったし、
他にもcancanやnonnoをパクった物もありました。
パクる事は本当は良くない事なんですが(^^;)
それはさておき、うれしい事に、台湾のみなさん、かなり親日の方が多いようです。
お年寄りを中心に日本語も分かる方が多い。
以前、私が香港に取材に行った時など、英語も日本語も通じずに困っていると、
見ず知らずの台湾の男性が、通訳してくださった事もあるのです。
そういえば、京都に取材の下見に行ったときも、台湾の男性と友達になって
日本語と英語と筆談(漢字)で話をしながら比叡山を巡ったなぁ。
そんな親日の台湾が、韓流に続いてブームになればなぁ〜と思っております。
でも、ちょっとその前に、無知でバカな日本人と思われないように、
お勧めなのがこちらの本。
「日本よ、台湾よ―国を愛し、人を愛すること」
金 美齢 (著), 周 英明 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594030432/ref=pd_sxp_elt_l1/249-6020496-9684309
最初の方で書いた、台湾は1つの独立した国家か、
中国の一部かという質問の答えが分かるかもしれません。
もちろん、別の角度から見れば別の答えが出て来るかも。
このあたり、今のアジアのいろんな問題がからんで、奥が深いですよ。
日頃、自分たちの番組の中でも取り上げている問題にも関係する事なので、
知っていないと恥ずかしいですよね。
ちなみに、金 美齢さんは、私の尊敬する女性でもあります。
自分の意見をはっきり言い、母として妻として、働く仕事人としても、
信念をもっていらっしゃいます。
テレビでもコメンテータとして、よく出てらっしゃいますよね。
こちらの本もお勧め↓ちょっと右よりですけれど・・
「日本が子どもたちに教えなかったこと」
金 美齢 (著),
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569642764/ref=pd_sxp_elt_l1/249-6020496-9684309
韓流ブームの前に行っておいて、ヨカッタと思っています。
しかし、食べ物がすべて辛いのは甘党の私にとっては厳しかった。
赤い物が辛いのは分かるのですが、緑色のとんでもなく辛いものが
時々サラダなどにも混ざっていて、食事のたびに恐怖でしたヽ(`Д´)ノ
でも、屋台で安く買い物したり、射撃で実弾を撃ったり楽しかったですよ。
イモムシの佃煮は、見た目かなり怖かったです(日本人もナマコ食べるけど)
一昨年は社員旅行無し。
去年は有馬温泉。
今年の社員旅行は台湾です。
今月末の旅行を前に、この台湾行きの事があり、今台湾の事をいろいろ勉強しています。
みなさんは、台湾って1つの国だと思いますか?
それとも中国の一部だと思いますか?
これって、意外と奥の深い問題なのです。
19年前に私が初めて行った海外旅行が台湾でした。
かなり日本の文化が浸透しているのにはビックリしました。
貸し本屋ならぬ、貸しマンガ屋には日本のマンガ(北斗の拳が大人気)が
ズラリとならんでいました。
セリフの吹き出しのところは中国語を切り貼りして並べられ、
コピーされたものでした(違法やん!)
「安安」というファッション誌は、日本のananをパクったとしか思えなかったし、
他にもcancanやnonnoをパクった物もありました。
パクる事は本当は良くない事なんですが(^^;)
それはさておき、うれしい事に、台湾のみなさん、かなり親日の方が多いようです。
お年寄りを中心に日本語も分かる方が多い。
以前、私が香港に取材に行った時など、英語も日本語も通じずに困っていると、
見ず知らずの台湾の男性が、通訳してくださった事もあるのです。
そういえば、京都に取材の下見に行ったときも、台湾の男性と友達になって
日本語と英語と筆談(漢字)で話をしながら比叡山を巡ったなぁ。
そんな親日の台湾が、韓流に続いてブームになればなぁ〜と思っております。
でも、ちょっとその前に、無知でバカな日本人と思われないように、
お勧めなのがこちらの本。
「日本よ、台湾よ―国を愛し、人を愛すること」
金 美齢 (著), 周 英明 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594030432/ref=pd_sxp_elt_l1/249-6020496-9684309
最初の方で書いた、台湾は1つの独立した国家か、
中国の一部かという質問の答えが分かるかもしれません。
もちろん、別の角度から見れば別の答えが出て来るかも。
このあたり、今のアジアのいろんな問題がからんで、奥が深いですよ。
日頃、自分たちの番組の中でも取り上げている問題にも関係する事なので、
知っていないと恥ずかしいですよね。
ちなみに、金 美齢さんは、私の尊敬する女性でもあります。
自分の意見をはっきり言い、母として妻として、働く仕事人としても、
信念をもっていらっしゃいます。
テレビでもコメンテータとして、よく出てらっしゃいますよね。
こちらの本もお勧め↓ちょっと右よりですけれど・・
「日本が子どもたちに教えなかったこと」
金 美齢 (著),
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569642764/ref=pd_sxp_elt_l1/249-6020496-9684309
2005.06.02
■「日陰のアサガオ」を見て変わった小学生
夏の風物詩、アサガオ。
最近見なくなったと思いません?
アサガオを見ると、子供の頃の自分を思い出します(^^)
すごく暗い話ですけど。
私は逆子でした。
生まれた時、呼吸が止まっていた上に片足が曲がっていました。
お医者さんに『五体満足です』と言ってもらえなかったそうです。
そんな私は運動が苦手で、かけっこでもいつもビリ。
両親は私を見て『逆子やったからな。歩けるだけでもよかった』と言ってました。
私は『私は逆子やから、みんなと違う』と思って育ちました。
性格はとても、内向的でした(^^;)
体育の時間が嫌いでした。
無口な私は友達がなく、準備運動で2人組を作る時いつも1人だけ余るのです。
そして、先生と準備運動をするのがイヤでした。
休み時間も1人でいるのが好きでした。
でも1人でいるのを人に見られ、『友達おらへん』のがばれるのが怖くて、裏庭で花壇を見てました。
その裏庭は私だけの秘密の世界でした。
私はいつもそこで、空想の世界に入ってました。
そこには、理科の対象実験で『日陰のアサガオ』が植えられていました。
『日なたのアサガオ』は元気よく、のびのびと大きな鮮やかな色の花を次々に咲かせます。
『日陰のアサガオ』は葉も小さく、元気がありません。
実験するまでもなく、そういう運命なのです。
暗くて消極的な私は『日陰のアサガオ』に自分の姿を重ねずにはいられませんでした。
私の日課は『日陰のアサガオ』にせっせと水をやる事でした。
暗い小学生ですね(^^;)
でもある日、その『日陰のアサガオ』が1つだけ小さな花を咲かせました。
すごくきれいな、淡いピンク色です。
その花が一番きれいでした。
『日なたのアサガオ』よりも、ずっと。
その時、その花を見てうれしくて泣いてしまいました。
小学校2年生の時でした。
小学校3年生の時、向いに、転校生が引っ越してきました。
彼女は運動神経抜群で、可愛くておしゃべりでよく笑い、たちまちクラスの人気者になりました。
私から見て、彼女はまさしく『日なたのアサガオ』でした。
登下校を一緒にするものの、いつも私は話の輪から少し離れた所で、ぽつんと見ていました。
どうしてあんな風にぽんぽん会話が出てくるのだろう??
一体何をしゃべればいいのだろう。
どうしたらあんな風になれるのかなぁ?
毎晩、布団に入って考えました。
一生懸命ネタをくり、何をしゃべろうか頭の中でリハーサルしました。
ある日教室で、みんなの輪の中で会話がとぎれた時、今だ!とばかり、しゃべりました。
何がきっかけで、何をしゃべったかは思い出せません。
ただ必死になって、何度もリハーサルした内容をしゃべったんだと思います。
私がめちゃ緊張してる事にみな気がつかないようで、ただ私の方を見て、笑いながら聞いてくれて。
話終わった時、ほっとして全身の力が抜けました。
あ、私もみんなと同じように、おしゃべり出来るんだ…。
それから毎晩布団の中で、ネタくりとリハーサルの毎日です。
最初は必死の思いでしていたのが、だんだん楽しみになっていきました。
『明日こんな話をして皆に笑ってもらおう。』
その時、『人に何かを伝える事』の楽しさを感じました。
今、テレビ番組制作の仕事をしているのは、その時の影響かもしれません。
「日陰のアサガオは、ときどき、もの凄くキレイな花を咲かせる事がある」
私はまだ、ツボミですけれど(^^;)
夏の風物詩、アサガオ。
最近見なくなったと思いません?
アサガオを見ると、子供の頃の自分を思い出します(^^)
すごく暗い話ですけど。
私は逆子でした。
生まれた時、呼吸が止まっていた上に片足が曲がっていました。
お医者さんに『五体満足です』と言ってもらえなかったそうです。
そんな私は運動が苦手で、かけっこでもいつもビリ。
両親は私を見て『逆子やったからな。歩けるだけでもよかった』と言ってました。
私は『私は逆子やから、みんなと違う』と思って育ちました。
性格はとても、内向的でした(^^;)
体育の時間が嫌いでした。
無口な私は友達がなく、準備運動で2人組を作る時いつも1人だけ余るのです。
そして、先生と準備運動をするのがイヤでした。
休み時間も1人でいるのが好きでした。
でも1人でいるのを人に見られ、『友達おらへん』のがばれるのが怖くて、裏庭で花壇を見てました。
その裏庭は私だけの秘密の世界でした。
私はいつもそこで、空想の世界に入ってました。
そこには、理科の対象実験で『日陰のアサガオ』が植えられていました。
『日なたのアサガオ』は元気よく、のびのびと大きな鮮やかな色の花を次々に咲かせます。
『日陰のアサガオ』は葉も小さく、元気がありません。
実験するまでもなく、そういう運命なのです。
暗くて消極的な私は『日陰のアサガオ』に自分の姿を重ねずにはいられませんでした。
私の日課は『日陰のアサガオ』にせっせと水をやる事でした。
暗い小学生ですね(^^;)
でもある日、その『日陰のアサガオ』が1つだけ小さな花を咲かせました。
すごくきれいな、淡いピンク色です。
その花が一番きれいでした。
『日なたのアサガオ』よりも、ずっと。
その時、その花を見てうれしくて泣いてしまいました。
小学校2年生の時でした。
小学校3年生の時、向いに、転校生が引っ越してきました。
彼女は運動神経抜群で、可愛くておしゃべりでよく笑い、たちまちクラスの人気者になりました。
私から見て、彼女はまさしく『日なたのアサガオ』でした。
登下校を一緒にするものの、いつも私は話の輪から少し離れた所で、ぽつんと見ていました。
どうしてあんな風にぽんぽん会話が出てくるのだろう??
一体何をしゃべればいいのだろう。
どうしたらあんな風になれるのかなぁ?
毎晩、布団に入って考えました。
一生懸命ネタをくり、何をしゃべろうか頭の中でリハーサルしました。
ある日教室で、みんなの輪の中で会話がとぎれた時、今だ!とばかり、しゃべりました。
何がきっかけで、何をしゃべったかは思い出せません。
ただ必死になって、何度もリハーサルした内容をしゃべったんだと思います。
私がめちゃ緊張してる事にみな気がつかないようで、ただ私の方を見て、笑いながら聞いてくれて。
話終わった時、ほっとして全身の力が抜けました。
あ、私もみんなと同じように、おしゃべり出来るんだ…。
それから毎晩布団の中で、ネタくりとリハーサルの毎日です。
最初は必死の思いでしていたのが、だんだん楽しみになっていきました。
『明日こんな話をして皆に笑ってもらおう。』
その時、『人に何かを伝える事』の楽しさを感じました。
今、テレビ番組制作の仕事をしているのは、その時の影響かもしれません。
「日陰のアサガオは、ときどき、もの凄くキレイな花を咲かせる事がある」
私はまだ、ツボミですけれど(^^;)
2005.06.02
■自信がなくなった時に思い出す事
これも小学校の時の思い出です。
運動オンチだった私は、跳び箱が飛べませんでした。
1段も飛べないのでマットを丸めて、先生にオシリを押してもらっていました。
自分でも分かっているのですが、飛ぶ前に諦めているのです。
「どうせ飛べないだろう。ほら、やっぱり飛べなかった」
その時、ふと思い出したのが『日陰のアサガオ』(思い出1)です。
頭に、あのキレイなピンクの花が浮かんだとたん、自分が跳び箱を飛んでいる姿が見えた気がしました。
「飛べるかもしれない」
その瞬間、私は難なく飛んでいました。
「次、1段の方に並んで」と先生に言われるがまま、1段の跳び箱を飛んでみると、なんとまた飛べたのです。
「次、2段」「次、3段」と次々とクリア。
不思議な事に全く失敗せず、6段目まで飛べてしまったのです。
一番ビックリしたのは本人で、キツネにつままれたというか、夢を見ているようでした。
「みなさん集まってください。」と先生が急に声をかけ、6段の跳び箱の前に皆を集めました。
「今から、上手な人に見本で飛んでもらいます。A君 B君 Cさん」そして最後に私の名前が呼ばれました。
A君もB君もCさんもクラスでは、飛び抜けて頭が良く、運動神経もバツグンの天才達です。
そんな中に混じるだけで、場違いというか「ひぇ〜〜〜」という感じでした。
生まれて初めてクラス全員が見守る中、私は6段の跳び箱を飛びました。
その瞬間、拍手がおこりました。
先生は「池田さんのフォームが一番キレイ」とほめてくれました。
私の頭の中には『日陰のアサガオ』が優しく咲いていました。
クラスの他の子が「いいなぁ〜飛べて。私はダメやわ」とため息をついているのを聞いて
「実は私、さっきまで1段も飛ばれへんかってん」と笑うと、彼女は不思議そうな顏をしていました。
あの時、一部始終を理解して、私を誉めてくれた先生に感謝です。
今でも何か不安な事があったり、くじけそうになった時、『日陰のアサガオ』に励ましてもらっています。
そして、いきなり6段の跳び箱を飛んだ小学生の自分を思い出しては、勇気を貰います。
ウジウジしてたら、小学校4年生の女の子に笑われますもんね。
これも小学校の時の思い出です。
運動オンチだった私は、跳び箱が飛べませんでした。
1段も飛べないのでマットを丸めて、先生にオシリを押してもらっていました。
自分でも分かっているのですが、飛ぶ前に諦めているのです。
「どうせ飛べないだろう。ほら、やっぱり飛べなかった」
その時、ふと思い出したのが『日陰のアサガオ』(思い出1)です。
頭に、あのキレイなピンクの花が浮かんだとたん、自分が跳び箱を飛んでいる姿が見えた気がしました。
「飛べるかもしれない」
その瞬間、私は難なく飛んでいました。
「次、1段の方に並んで」と先生に言われるがまま、1段の跳び箱を飛んでみると、なんとまた飛べたのです。
「次、2段」「次、3段」と次々とクリア。
不思議な事に全く失敗せず、6段目まで飛べてしまったのです。
一番ビックリしたのは本人で、キツネにつままれたというか、夢を見ているようでした。
「みなさん集まってください。」と先生が急に声をかけ、6段の跳び箱の前に皆を集めました。
「今から、上手な人に見本で飛んでもらいます。A君 B君 Cさん」そして最後に私の名前が呼ばれました。
A君もB君もCさんもクラスでは、飛び抜けて頭が良く、運動神経もバツグンの天才達です。
そんな中に混じるだけで、場違いというか「ひぇ〜〜〜」という感じでした。
生まれて初めてクラス全員が見守る中、私は6段の跳び箱を飛びました。
その瞬間、拍手がおこりました。
先生は「池田さんのフォームが一番キレイ」とほめてくれました。
私の頭の中には『日陰のアサガオ』が優しく咲いていました。
クラスの他の子が「いいなぁ〜飛べて。私はダメやわ」とため息をついているのを聞いて
「実は私、さっきまで1段も飛ばれへんかってん」と笑うと、彼女は不思議そうな顏をしていました。
あの時、一部始終を理解して、私を誉めてくれた先生に感謝です。
今でも何か不安な事があったり、くじけそうになった時、『日陰のアサガオ』に励ましてもらっています。
そして、いきなり6段の跳び箱を飛んだ小学生の自分を思い出しては、勇気を貰います。
ウジウジしてたら、小学校4年生の女の子に笑われますもんね。
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